オスカー・ワイルド

「その悪の習慣からや不幸にもかかわらず、びくともしない無垢を持ち続けた男」ボルヘスがオスカーワイルドを讃えた言葉。
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# by oyukibo | 2015-01-19 23:46 |

井筒

「井筒は、執着の苦しさを訴えることもしない、救済を求めることもしないという点できわだった存在。自らも死してなお、男の墓を訪れることをやめないという待つことの静かな哀しみに、すでに救済は遂げられているようです」
「能・到来するものの劇」 放送大学・竹森桂史氏の講義より



『井筒』 (いづつ) は、能を代表する曲の一つである。世阿弥作と考えられ[1]、世阿弥自身が申楽談儀でこの曲を「上花也」(最上級の作品である)と自賛するほどの自信作であった。若い女性をシテとした鬘能で、序ノ舞を舞う大小ものである。
a.wikipedia.org/wiki/井筒_(能) より

「彼女の足は、自然に思い出の井筒へと向かう。そして業平の直衣を身に着けたその姿で、子供の頃業平としたように、自分の姿を水面にうつす。そこに映るのは、女の姿とは思えない、男そのもの、業平の面影だった。舞台は一瞬静寂につつまれる。「なんて懐かしい…」そう呟いて、彼女は泣きくずれる。 そして萎む花が匂いだけを残すかのように彼女は消え、夜明けの鐘とともに僧は目覚めるのだった。」
a.wikipedia.org/wiki/井筒_(能) より
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# by oyukibo | 2012-01-26 18:49 | 演劇

能・到来するものの劇


放送大学、竹森桂史氏の「能・到来するものの劇」の講義が圧巻~。

能とは
有史以来の呪術的社会における共同体の祭祀と宗教儀礼を起源の場所として発生したと考えられている、演劇の失われた古層ともいうべきひとつの特質が、生きたまま保存されている特異な例。

能が起源の場所で受け継ぐこととなった演劇・芸能の古い想像力の形とはどのようなものか?人間を超える何者かが、すなわち神や死者、霊魂が、私たち観客へと到来して、自然から与えられた生命の摂理や人間の運命を語ったのち、ふたたび去っていく。演劇とは、そのような場所であり装置である。

到来するのもの劇
彼らは、すでに実現されてしまった運命のただなかで、苦悩のなかから、他のなに者にも変身できずに、他のどの場所へも逃れることができないからこそ、ワキと観客の待つ舞台へと立ち現れるのです。真摯な人間の劇としての能がたどり着いた究極の論理がこのようなものであることを、理解する必要があります。

能面
特定の誰の顔でもない、誰の顔であってもよい、いわば引き算によって高められた顔。だからこそ、それは、私たちの顔でもある。私たちは、自分とはこの自分だと思って自分を生きていますが、そのこともそれほど確かなものではありません。私たちの顔もまた誰の顔であってもよい人間の顔なのです。此の世ならぬ世界から到来した絶対の他者の顔が、同じ私たちの顔であるという驚くべき展開が、そのとき無表情にあらわした能面の上で実現するのです。

能面がもたらす真の変身とは、私たちの変身であり、私たちへの変身なのです。
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# by oyukibo | 2012-01-26 18:10 | 演劇

MASQUES DE LEONOR FINI

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「レオノールフィニの仮面」 (奢灞都館) A・P・ マンディアルグ 生田耕作/訳 より

突然なにかの「仮面」と出くわせる最大の機会が待ち受けていそうな場所へ自分は、まさしく接近しつつあるのだといいう思いで、私はつねに異様な興奮を憶えずにはいられないのである。........そこに仮面が期待されるというよりそれをそこで見つけ出したいと願うようこのような場所につきまとう把えどころのなさは、奇妙なことに錯乱の前触れともいうべき、郷愁のかすめる漠然とした意識状態、一種の自嘲を込めて(ようするに困惑のしるし)いまだに魂の゛把えどころのないもの゛という名称で語られrている意識状態、まさしく仮面の誕生につながるように思える精神状態を思い出させる。   
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# by oyukibo | 2012-01-21 20:07 | 美術

海のこと

豊穣の海 第一巻 「春の雪」  著/三島由紀夫 より

退いてゆく波の彼方に、幾重にもこちらへこちらへと折り重なってくる波の一つとして白いなめらかな背を向けているものはない。みんなが一せいにこちらを目ざし、一せいに歯噛みをしている。しかし沖へ沖へと目を馳せると、今まで力づよく見えていた渚の波も、実は希薄な衰えた拡がりの末としか思われなくなる。次第次第に、沖へ向かって、海は濃厚になり波打ち際の海の希薄な成分は濃縮され、だんんだん圧搾され、濃緑色の水平線にいたって、無限にに詰められた青が、ひとつの硬い結晶に達している。距離とひろがりを装いながらその結晶こそは海の本質なのだ。この稀いあわただだしい波の重複のはてに、かの青く凍結したもの、それこそが海なのだ。......

(新潮文庫 P.273)
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# by oyukibo | 2010-08-02 22:16 |